代表制民主主義の危機
今回の市長選挙の投票率は60. 28%前回よりも3.3ポイントも落ち込んだ。
有権者53263人で投票に行った人数は32109人。当選を果たした白井博文氏の得票数は21340票。 またもやダブルスコアでの勝利とはいえ支持率は有権者の40%にすぎない。
白井氏のマスコミへのコメントにも投票率は80%以上が望ましいとあったように相変わらず関心の低い選挙となった。
一方、今回の投票率は評価できるという見方もある。
前回の市長選挙は、平成の大合併の中、1市1町か広域かそれとも単独かなどの枠組み論争に端を発し、ついには、 住民投票にまで発展した。
その際、正義であると思われていた市民団体が掲げていた広域合併派が敗れ、 そのストレスとフラストレーションを抱え込んだまま市長選へとなだれ込み、今回と同様石川氏をダブルスコアで下した。 その時の市長選ははっきりとした争点がありながら投票率は63.5%にすぎなかった。
それでは何故こうも投票率が低いのか?
今回は青年会議所が公開討論会を開催し有権者の意識に一石を投じたが目に見える結果は現れてこなかったようにも思える。 もちろん希望的な見方をすれば、投票率の底上げによりこの投票率に落ち着いたとも言える。
表面的に見れば、選挙人と被選挙人の双方に投票率を左右するファクターがあり、 それらが相互に作用しあわない限り投票率のアップはない。
今回の場合、選挙の争点がわかりにくいと同時に、 政策の違いがあったにも関わらず有権者サイドには伝わりにくく全体的に興味の薄い選挙になったような気がする。
しかし責任は議会にもある。
議会は住民の負託を受けた代表者で67000人市民そのものであり、行政と住民をつなぐ太いパイプであるはずです。 この議会の責務のひとつは市政の情報を市民に正確に伝えることにあります。
今、 このまちがどの様な状況にありどの様な行政が行われており今何が問題で今後どの様な方向に進もうとしているのかなどを市民の皆さんに伝え続けなければいけません。
そうすることによって、市民の皆さんは議会にそして行政に興味を持ち、 議員を選択し市長を選択するために投票行動を起こすのではないでしょうか。
この投票行動そのものが市民主権といわれるものです。
投票率の低下は代表制民主主義の根幹を揺るがすもので、同時にまちの衰退を意味するものでもあります。
何故なら民主主義の原理は「人類の叡智」と呼ばれているからです。