草刈りは誰がやるべきか?
決算審査において道路橋梁維持費の中の草刈り委託料として山陽地区の21自治会に総額126万円支出していることが明らかにされました。
小野田地区の草刈りは業者に委託をしています。
山陽地区の自治会への草刈り委託については、山陽町時代からの慣例だと説明がありましたが「山陽と小野田の一体感の醸成」 なんて言葉はどこに行ってしまったんでしょう。
また、執行部の説明では業者に委託をするより自治会に委託をする方が安くつくと説明をしますが、 その様な説明をされるとそれなら小野田地区でも自治会に委託をしたらどうなのかという結論に達してしまいます。
いずれにしてもいまだに山陽方式と小野田方式が混在している行政に対してスピード感を感じません。
地方都市が生き残る道は、行政依存体質からの脱却が一つの方法です。
今回の草刈り委託料についても、山陽方式がいけないと思うどころかある意味今後の行政運営のヒントが隠されているとは思いますが 「山陽町時代からの慣例」だと答弁されては一こと二こと言いたくなってしまいます。
三重県は数年前に「公」の概念を打ち出し行政運営に取り入れています。
例えば、道路は誰の持ち物かというと市道なら市民、県道なら県民の持ち物なのです。それは、 市民や県民の代表である議員が決定をして市民や県民の税金で建設をされたからに他なりません。
市道を市民で建設するなんてことはできないので、市にその部分は任せているに過ぎないのです。
ここで重要なのは、公共施設の所有者は市や県などでなくて市民や県民などであるという認識の必要性です。
市民や県民の持ち物ならば自分たちの家や持ち物を清掃や管理するように公共施設の一定の清掃や管理は可能な限り市民や県民が行うべきであり、 できないところは市や県が代行をするべきでしょう。
個人主義が浸透している現代においては、そこから脱却して「公」の概念でまちを建設するには相当の時間と意識改革が必要でしょうが、 これに真剣に取り組まない限りはまちの将来は無いような気がしてなりません。
21位です。
「個人主義の浸透」というのは耳の痛いところです。なにせ学校では四六時中「人権」「人権」の教育の中で、公的な世界や心構えなんて、私も教えてもらえなかった。
現行憲法の三原則ですか、基本的人権、主権在民、恒久平和とやかましく教えられてきましたが、その割には、本当に人権を尊重してもらった、尊重する気持ちになったということはありませんでした。わが国の平和も、軍事的な力不足のため、脅かされております。
人権思想と言うのは、しょせん西欧キリスト教的な観念でしかなく、人権を主張するゆえに逆に人権が守られないという昨今の政治社会の皮肉な現実ではないでしょうか。NHKなんかで、天賦人権説とかやっておりますが、日本の社会にはどうしても適合しない無理が出てくる。
ご先祖様を大切に思い、両親祖父母に感謝する家族主義、御皇室に対する尊敬の念も自然に生まれてくるでしょう。
私には家族がありませんで、個人主義に凝り固まっていた自分を恥じ入る次第ですが、失われかけた日本のこころを取り戻すためには、家族主義が是非見直されるべきだと愚考します。