来年はどんな年?
今年終盤の議会や議員の発言や動きなどから来年は早々から混乱しそうな雰囲気です。
合併特例債事業の本格議案化にあたる年になるためです。
おそらく3月議会では、新病院建設の実施計画・実施設計の議案や学校給食共同調理場の基本設計・ 実施設計などの議案が上程されると思われます。
その他、埴生小中学校の連携についての議案やゴミ処理施設新設や山陽地区公共施設のあり方についての方向性が出されると思われます。
特に新病院建設と共同調理場建設については合わせて70億円以上も財源を必要とすることもあって、 既に一般質問でも多くの議員が取り上げています。
詳しくはまたこのブログで報告するとして、簡単に議会内の声を紹介しますと、新病院建設に反対または慎重な議員の意見は 「病院会計は将来的には成り立たず、市の会計まで圧迫し財政破綻を招く」「医師30人体制なんかできない」とか「予定地(現在地)は、 地震による津波の被害を受けるため安全安心な医療を確保できない」という意見から「労災病院、日赤病院があり市民病院は必要ない」 という意見まで様々あります。
また共同調理場建設に反対の意見として「アレルギー対応ができない」「作る人の顔が見えない」「地産地消が推進できない」 「給食を工場で作るのか」「給食を生きた教材として活用できない」「教育に合理化を持ち込んではいけない」「食育を推進できない」 などなどです。
最後の「食育」が実は結構キーポイントですし、くせ者です。
また批判的な意見として議案化に至る教育委員会のやり方に対しても反発的な意見があり、 建設の本質的なところからかけ離れて問題化しています。
さて議会では、1月4日から議会基本条例がパブリックコメントに出されます。また、 1月の23日から28日まで市内6箇所で説明会を開催します。
その後、調整を済まし3月議会に上程する予定としています。
この条例が可決されれば、議会は大きく改革に舵を切ることになります。
25位です。
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天皇誕生日
12月23日は今上天皇の誕生日です。
昔は天皇誕生日に限らず、国民の祝日には玄関先に日の丸を掲げていたものです。
それがいつの頃からかそんな風景は見られなくなりました。
ついでに付け加えると、今となっては正月の車のお飾りなんてほとんど見られません。 昔は自転車にまで付けていてちょっと恥ずかしかったものですが親に怒られるのでそのまま乗っていたものです。
しかし、私の通勤路において祝日に日の丸を欠かさず掲げている地域があります。
公園通り交差点から竜王山方向へ行くところでその風景は見られます。
数えてみると道路の左右8箇所で日の丸を掲揚しています。
何十年か前は、どこの家でも掲揚用の支柱を差し込む三角形の受けみたいなものが玄関先に備え付けられていたように記憶をしています。
以前、長い間にわたって公立学校において国旗掲揚と国歌斉唱が思想良心の自由に反するとして社会問題化しました。
その後、長い議論を経て板挟みになった現職校長の自殺などを契機に平成11年に「国旗及び国家に関する法律」が成立しています。
この法律により正式に国旗は日章旗、国歌は君が代と決まりました。
視察に行った先で時間があれば議場を拝見させてもらうことがあるのですが、議場に国旗、市旗を掲揚しているところもあります。
本市の議場には、国旗だけでなく市旗さえありません。
議場に出入りするときは出入り口で一礼するのですが、何に対して礼儀を行っているのかよくわかりません。 議場そのものに対して畏敬の念を表すのでしょうか。
戦後において、国旗や国歌のみではなく「国」そのものに対しての考え方が左傾化しているのかもしれません。
市議会は国歌論を議論するところではありませんが、国旗の掲揚は別問題です。
皆さんは議場に国旗、市旗がないことに対してどの様にお感じですか?
21位です。
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一般質問を振り返って
議員からの一般質問の答弁の際に市長はおもむろに手を挙げ、時には穏やかに語りかけるように、 時には情熱的に心に響くようなことを饒舌に発言します。
その一方で、「ん・・・?」と言うようなこともたまにあります。
■終了前1分に■
今回もそういう場面がありました。それも残り時間1分となったところで発言を始めました。
意図するところはなかったと思いますが、市長の答弁終了と共に議員の持ち時間も終了し反論を繰り出すことができないものとなりました。
■新病院建設が頓挫すれば議員の責任?■
その内容というのが、
伊藤(武)議員が今の場所ではふさわしくないとと言う論調で市民病院建設の場所について言及したときに、
市長は、「(病院の建設計画が)途中で止まるようなことになると、それまでかかった何千万かは皆さんに負担してもらうことになる」
これは議員が、新病院建設について基本計画の予算は議会で可決したが、 当時は場所まで決定したものではないとの趣旨の発言をした際の答弁です。
市長の言い分は「議会は既に新病院建設の基本計画、基本設計を議決した。その時の費用は数千万円かかっている。 次に議案化される実施設計を否決をすると建設が白紙に戻る。そうなると議決をした数千万円の費用は議員に負担してもらうようになる」 と言うものだったと思います。
■2つの間違い■
市長の見解には2つの間違いが含まれていると思います。
一つは、基本計画、基本設計を議決したのではなくて、それらを作成する予算を議決しただけであって、 厳密に言えば建設場所を決定したものではないと言うこと。 つまり基本計画は今から作る段階なので場所についての議論は実質的には遡上にはあがっていないこと。
二つ目は、事業が途中で白紙になっても議会がそれまでにかかった費用を負担する必要がないこと。
■議会は何を議決したのか?■
今年度の3月議会で新病院建設のための基本計画、基本設計などの費用6700万円を賛成多数で可決をしました。 つまり場所が特定され新病院の概念が盛り込まれている基本計画や基本設計を議決したわけではありません。 あくまでもそれを作成するための費用を議決したわけです。
この議決はいわば、新病院建設そのものにGOを出したもの、 つまり新しい病院を建設するという方向性について賛成多数だったと言うことに他なりません。
この議案に反対した議員は、新病院建設そのものに反対の立場だったとも言えます。
しかしながら私をはじめ議員の多くは、「場所は現地」と言うことを暗黙の了解のもと新病院を作ることに賛成したものだと思われます。
それは、あくまでも暗黙の了解であって議会議決されたわけではありません。
■議案は今後もでてきます■
大型建設事業の場合は、議案は段階を追って出てきます。
まず、基本計画や基本設計、その後に実施計画、実施設計、そして最後に建設費などの予算が議案化されます。
つまりその度毎に議決を要する(議会の判断を仰ぐ)と言うことは、形式的にはどの段階でも止まることはあるのです。
また、基本計画を可決したからと言って実施計画を可決する必要があるとすればそれこそ議決の意義が失われますし、 議案化の必要さえなくなってしまいます。
出来上がった基本計画に対して議員が容認できず、また執行部も計画の変更等を行わなかった場合、 その議員は実施計画に関わる予算には反対せざるを得ないと言うことになります。
■議員が6700万円負担しなければならない?■
そんなことはありません。正当な議決によって行った政治的判断に対して議会が不当な請求をされるなんてことはあってはなりません。
今回の場合みたいに段階的に議案が出される場合、議員はその後の動向によって最悪、 当初の予算6000万円を捨てる覚悟を持って議決しなければいけません。
そうしなければ、その後の議決の意義が失われます。
■こういうことにならないためには■
議会が議決するのが予算だからこの様なことが起こるのです。
基本計画、基本設計が議決事項ならこの様な問題は起こりません。
議会が介入すればするほど執行部はやりにくくなるものですが、責任は2分されます。
また、議会側にも責任があります。
3月の議決後にその予算を使って基本計画書が作成されます。
その基本計画書の作成段階で議会としての意思を伝えることをしなかったことは反省すべき点だと思います。
執行部と対峙して粛々と議決をするのも議会ですが、今回のような場合は執行部と歩調を合わせ事業を形成するのも一つの手段です。
■これからは正念場■
場所については、現場所以外あり得ないし、移転は現実的ではないことは多くの議員は認識しているところです。
しかし、形態や財政面で異論や反論のある議員は少なからずいます。
一番怖いことは、正しい情報が不足したまま最終議決にはいることです。
情報の多寡や正誤があっても議員は議決の際に表決できる権限を持っています。
将来に禍根を残さないためにも勉強会や討論会を開催して正当な表決をしたいと思います。
27位です。
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一般質問について
■一般質問は事前に通告します■
一般質問通告書はネット上にも掲載されます。
その通告書をご覧になれば分かりますが、議員によって通告のしかたは様々です。
一行ですませている議員もいれば、詳細な通告を提出している議員もあります。
一概にどちらがよいとは言えないものですが、事務局からは詳細に記入するように求められています。
少なくとも通告書は一定のきまりのもとにどちらかに統一して出すものだと思っています。
ネット上に掲載されていると言うことは、市民の目を通ると言うことなので、質問内容を詳細に記入すべきものではないでしょうか。
■よくある間違え■
また議員は、一般質問という与えられた権限をフルに活用し、 一議員の考えとは言いながら市勢発展や住民福祉の向上などに寄与するために、 また少なからず市民に自分の存在をアピールするために一般質問を繰り広げます。
しかし、時には質問という枠から外れ独善的な考えを押しつけたり、自己満足に陥ったりします。また、 事前に用意をした再質問の原稿に沿って質問したりすると答弁と質問がかみ合わなかったりする場合もあります。私も反省すべき部分があります。
それと「市長さん」などと役職にさんを付けて呼ぶのも間違いです。
■再質問もします■
山陽小野田市議会の場合、通告書に沿って壇上より執行部に対し傍聴席に向かって質問をします。
すべての質問が終わると、再質問席に着席をして執行部の答弁を聞きます。
その後に、納得いかない部分や掘り下げて質問することがある場合などには再質問をすることになります。
つまり、再質問は必須条件ではないのですが再質問をしない議員なんていません。
■答弁はどうなの?■
壇上よりの質問も再質問席からの質問に対しても市長が自ら率先して答弁することは多くありません。「市長に問う」 と前置きしたときでさえ市長が答弁しないときがあります。
執行機関の長が答弁すべきところも補助機関である部長などが代弁しています。
誰が答弁をしても自由なので、それはそれで結構な部分もあるのですが、時には代弁者である部長等が「これは私見ですが」 などと前置きして答弁する場面を見受けることがあります。
市長の代弁者が私見を述べるなんてことは矛盾をしています。そんな時議員は、すかさず「あなたの私見を聞いてはいないし必要ない」 と一蹴しなくてはいけません。
また、市長も部長等に答弁をさせながら「今の部長の答弁は、私(市長)の考えとはちょっと違いますが・・・・・」 なんてことも過去にはありました。
■質問者にも責任が・・・■
議員があまりに小さい数字などを聞いてしまうと、当然のことながら市長には回答ができない場合があります。
その様なときは、部長等が答弁するしかないのです。
言ってみれば、その様なときのために部長等が出席しているとも言えます。
■一般質問の今後■
一般質問の場は、執行機関と議員が対峙をする場です。 なれ合いになってしまったり迎合してしまったりすると緊張感が急速になくなり議会の権威も失墜することになります。
今後は一般質問のあり方などを議会内で考え、その効果についても持続性にあるものにしなくてはならないはずです。
そのための仕組みを議会基本条例には盛り込んでいます。
17位です。
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労働運動の歴史について
12月1日号の市広報の「市長から市民のみなさんへ」は、公務員の争議権についての興味深いコメントでした。
内容は、「人事院制度を廃止して、公務員に民間同様の争議権を与える公務員改革制度」について市民の皆さんはどう考えるか、 というものです。
昔は、「ストライキ」という言葉がテレビや新聞から頻繁に流れてきていました。今となればある意味懐かしさを感じる言葉です。 そういえば国鉄はよくストをしていました。
その労働運動そのものも時代と共に衰退をしてきています。
55年体制崩壊後の今は、闘争をして労働者の権利を勝ち取るなんてことはしなくて、 経営サイドとよく協議をしながら会社の利益のためにお互いが考えるという協調スタイルで進んでいます。
歴史的に見ると労働運動は、そのときどきの政治と密接な関係を持ってきました。
戦前は40万人以上いた労働組合員も戦争突入と共に労働運動が禁止をされ、解体を余儀なくされました。
ところが第2次世界大戦後、GHQにより労働運動が容認をされ日本労働総同盟のもと、 全逓信従業員組合や国鉄労働組合などが巨大組合組織をつくりあげ、猛烈な労働運動の渦の中に国民を巻き込んでいきました。
GHQが何故、日本を労働運動が活発化する方向に導いていったのかという点は、表面的には戦後日本の民主化のためだと言われています。 しかし、一方ではGHQ内のコミンテルンに属した左派勢力が日本を共産主義に染めるためであるとか、 または実験的に加熱をさせたという見方もあります。この時代の史実を裏付ける史料は、少しずつ公開されています。
この昭和21年には、国鉄はもとより炭坑や新聞など過熱気味に労働運動が盛り上がった年でもあります。
そして翌昭和22年には、吉田茂の労働組合員を非難する発言により組合運動は激しさを増し、2. 1ゼネスト突入へのカウントダウンが始まりました。
しかし、突如GHQ総合司令長官マッカーサーの中止命令により2.1ゼネストは当時の国鉄の伊井共闘委員長の「一歩後退、二歩前進」 というラジオ放送により中止をされました。
いわば、GHQの政治的な方向転換です。その背景には米ソの関係が冷戦状態に入ったことがあるはずです。
ゼネストは回避しましたが、その後も労働運動は依然勢力がありアメリカ本土ではこの様な動きを危険視していたようです。
昭和23年にマッカーサーは、当時の内閣に公務員のストライキを禁止するように指示をし、 その後の国家公務員法や地方公務員法でストライキの禁止が明文化された。
つまり、戦後の労働運動の歴史はアメリカやGHQの思惑通りに進められた一面があります。
その様な見方をすれば、今回の公務員に争議権を付与すると言うことは政治的に見て誰が恩恵を受けるのでしょうか。
民主党の一部の左派勢力は、労働組合を囲い込みたいと考えているのでしょうか。
政治的な利権ではなく、国民的な視点で公務員改革を行う必要があります。
17位です。
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一般質問が始まりました
金曜日から4日間17人によって一般質問が繰り広げられます。
この10月に本会議場の議席の変更のくじ引きがあり、前列の5番目(前列の中央部になります)になってしまいました。
本会議場の議員席は、前列と後列の2列しかありませんが前列中央は若干居心地が悪いものです。
議場全体を見渡せないため同僚議員の動向が確認できないことや、市長や議長のほとんど正面にあたるのでなんとも肩がこってしまいます。
また、前列は後列の議員の私語が結構明瞭に聞こえてくるものです。
最近は少なくなってきましたが、一般質問は執行機関の所信を質したり、 政治姿勢や政治責任を明確にさせたりするものであるにもかかわらず、延々と自分の主張を繰り広げ質問はほとんどないとか、「お願いします」 とか「これは要望です」とかわざわざ付け加えて議員からの要望や陳情の場と化したりすることがあります。
こういった一般質問を繰り返すと、本会議場の緊張感を著しく損なうばかりか傍聴人やネット視聴者にも失礼な話となります。
常識的にいえば、そういう場合、 議長が議事整理権に基づき質問議員に注意を促すことがあって良さそうですが現実的にはなかなか難しいものです。
何故なら、議長は今後の安定した議会運営を考えるでしょうし、「議長が議員の発言を抑制した」 なんてことになると議会が即座に混乱をしてしまうことになります。
実は、この一般質問のついて地方自治法には何の規定もありません。会議規則の中に「議員は、市の一般事務について、 議長の許可を得て質問することができる。」とあるだけで具体的なことの記載はないのです。
そこで現在作成中の議会基本条例には条文の中にしっかりと一般質問の目的を入れ込み、 議長の議事整理権を行使しやすいようにしています。
話は変わりますが、一般質問を行う際は、事前に通告書なるものを議会事務局に提出してその際に一般質問の順番を決めるくじを引きます。
その後、執行部が質問事項の聞き取りに来ます。それは、 本会議の際に答弁者がスムースに回答することによって円滑な議会進行を促すためでもあります。
長くなりましたので次回に続きます。
18位です。
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教育委員会の迷走
議員控え室でたびたび話題になっている、というより批判されている「学校給食のあり方検討会議」。
「学校給食のあり方」にとどまらず「会議そのもののあり方や進め方」に対しても異論、反論があるようです。
文科省指針や財政面から強引にセンター方式(共同調理場)に持ち込もうとしているだとか、 センター方式ありきで会議が進められているだとかいうものです。
そもそも教育委員会はこの会議に実質的な意味合いを見いだしているのか疑問です。
私には、今の時期に「学校給食のあり方」と題して専門家や市民の意見を聴くことにどれだけの意味があるのか分かりません。
第一回目の会議録を見てみると「共同調理場方式を導入するということが教育委員会の一定の合意事項」とあります。
そうするとこの会議の名称は「共同調理場方式における学校給食のあり方」とすべきで、そうしないと教育委員会(教育委員会会議) の合意事項の意味がなくなるばかりか、教育委員会軽視まで発展してきます。
この様な合意事項があるにもかかわらず、会議の中身は自校方式が良いだとかセンター方式でも仕方ないなどの意見が飛び交っています。
もしこの会議が市民などに対して給食方式の選択を迫るものであるのなら、 すくなくとも今ではなく合併特例債を本格的に使用しようとした2年以上前にやっておく必要があります。
そしてその後にその会議の内容をもとにして教育委員会会議で議題とすべきでしょう。
あとさきが完全に逆転しています。
この様な会議を重ねれば重ねるほど会議に出席した給食について真摯に考えている市民などは、 ストレスや虚無感を味わうことになりかねません。
教育委員会には、約10年前旧小野田での親子方式導入に際してのトラウマがあるのかもしれませんが、 その時の苦い経験が全く生かされていないような気がします。
この会議は前回で終わったようですが、さて教育委員会はこの結果をどの様に政策に反映するのでしょうか。
20位です。
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行政視察について
委員会は、通常1年に1回以上県外に税金を使って行政視察に行きます。
とりあえず議会の名誉のために言いますが、行政視察のことを「旅行に行く」とか「温泉に行く」だとか言う議員は1人もいません。
問題は行動や言動のような表面的なことではなく、本質的なところにあるような気がします。
議会基本条例の特別委員会でも先進市やシンクタンクなどへ視察に行くつもりで、以前委員会に手法を含めて諮った経緯があります。
その視察先の決定については、全員がその視察の必要性を認知することを絶対条件にしました。
その手法として視察先の希望のある委員には詳細で同一フォームである行政視察計画書を提出してもらい委員会内で一人ずつプレゼンテーションを行ってもらいました。
そうすることにより、視察先の概要や視察目的はもとより、当市における課題や視察先の取り組み状況、 視察ポイントなどの情報を文字によって書き込むことにより容易に理解でき、必要性を判断しやすくなります
つまり、「とにかく行こう」ではなくて「いく必要があるから行こう」への意識改革を行う必要があると感じたからです。
それでは今まではどの様に視察先を決定していたかというと、 視察希望先がある議員がホームページなどの情報をただ単にコピーをして委員に配布後、口頭にて説明をするだけです。 その説明の方法には委員によってまちまちであり一貫性なく、なかなか頭の中でイメージすることができないときもあると思います。
つまり判断材料が少なすぎて、 視察の是非がイマイチ理解できないまま飛行機や新幹線に飛び乗っている場合もあったのではないでしょうか。そして視察から帰った後で、 余り参考にならなかった・・・なんていう話も聞いたことがあります。
先日の総務文教の協議会でも行政視察について同じ提案をし、更に視察先を決定した後には、 担当職員を呼んで事前勉強をすべしと提案をしたところです。
現在、行政職員は先進地などへの行政視察には行っていないので、職員の分までどん欲に調査を行い、 最終的にはフィードバックも行うべきだと思っています。
行政視察は行って終わりではなくて、次にどの様につなげるのかとか市政にいかに反映させるのかという持続的効果を期待されます。
27位です。
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市内施設視察 その4
厚狭中学校の正面玄関です。
この学校もかなり老朽化が進んでいます。
しかし耐震化の工事が行われた校舎はきれいに改修されています。
代金270円をお支払いして校長室で給食を食べました。
私にとっては、注文を付けたくなることばかりですが、それはこの厚狭中学校の問題ではなくて全市内の小中学校に対して、 つまりは教育委員会の給食に対しての考え方に関してです。
温食器(どんぶり)にスープスパゲッティが入っていること。そのスープスパゲッティを箸で食べること。 パンがトレイに直接置いてあること。トレイに載せたまま食事をすること。アルマイト食器を使用していること。などなどたくさんあります。
財政的な問題もあるでしょうがこの様なことを放置し続けてきた責任は教育委員会にあります。
また、メニューにおける日本伝統の食文化とは何なんでしょうか?
食育を声高に叫ぶ人たちはこの状況をどうのように考えているのでしょうか。
今、給食センターの是非について議会のみならず保護者などの市民を巻き込んで議論になっていますが、 この様な状況を放置しておいて今になって食育の観点から給食センターの議論をしている姿を見ていささか疑問に感じます。
この様な給食の本質的な状況は給食の調理方式によって変わるものではないと思いますが。
また、教育委員会は給食センターへの方向転換をしきりに「児童生徒の安全安心のために」と理由付けをしていますが、 食だけでなく児童生徒の学校での安全安心は当たり前のこと。そこを根拠に主張を続けても議論は先に続かないような気がします。
議会も拙速な結論は避け、広い視野から十分な議論をすべきものです。
20位です。
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