市民まつりがなくなります。
先日行われた全員協議会において市民まつりの担当部署から「市民まつり中止」の報告を受けました。
それも「市民まつりについて」と表題がついていて発信元が明記をされていない紙切れ一枚を職員が淡々朗読をしました。
市民まつりを中止する理由はまつりの目的であった「市民の一体感の醸成と協働のまちづくりの推進」が図られたからだと書かれています。
この目的もどうかと思うが、相変わらず旧態依然とした行政らしい一方的で勝手な解釈であり決定である。
市民本位の協働のまちづくりが聞いて呆れる。
真の理由は「市民の一体感の醸成と協働のまちづくりの推進」が一向に図られなかったからではないのかなどと不都合な真実を勘ぐってしまう。
この数日間で住民からまつり中止に対して過去から鬱積した厳しい意見を頂いた。
「このことでなくなったのは結局小野田まつりだけではないか」
小野田まつりだけ新市になって山陽小野田市民まつりになった。山陽のまつりはすべて存続しているのに市民まつり中止によって小野田のメインのまつりがなくなってしまった。と嘆く声です。
確かにその通りです。
過去の「まつり山陽」は市民まつりに吸収されたように見えるのだが、現実は「厚狭秋祭り」として存続をしている。
山陽側も小野田側も様々な地域のまつりは今も行われているが、市としてのメインイベントがなくなったのは事実である。
また、市民まつりが中止になっても前夜祭であった「お祝い花火」は存続します。
もともと「お祝い夢花火」は山陽商工会議所青年部が自ら資金を集め、自ら運営をしていたイベントであって前夜祭の冠は彼らにとって必要なかったのです。迷惑だったという声すら聞いています。
「お祝い夢花火」に前夜祭の冠を付けたことによって、それまで前夜祭の位置づけであった「小野田駅前まつり」から前夜祭の文字がはずされ「秋祭り」と変更を余儀なくされていたことも事実です。
「開催日を変更したこともけしからん」
旧小野田市民らしい意見ですが・・・これはちょっと違います。
小野田まつりは11月3日に行われていました。当時からも宇部まつりと同一日なので変更すべきとの安直な意見がありました。
それでも当時の行政と商工会議所は日程変更をすることはありませんでした。
その理由は11月3日が特別な日だったからです。
11月3日(昭和15年)は小野田市が誕生した記念すべき日です。
その意味からすると市民まつりの開催日を11月3日から変更することに異議はありませんが、新市誕生の日にするのなら分かりますが10月の最終日曜日にする意味は見あたりません。
「市民まつりは毎年行うものだ」
行政は市民まつりをやめて5年毎に市制施行記念事業を開催するとしています。
そもそも「まつり」と「事業」を同レベルで考えているところが軽薄すぎる。
まつりを行政の事務事業の一部と考えているような気がします。
もしそうならこの事業の限界も既に見えています。
いずれにしても市民からすれば寂しいかぎりではなかろうか?
復活を願う声が高まることを願いたい。
もちろん議会としても知恵を出すべきだろう。
28位です。
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