「市民との協働」に疑問
最近どこの自治体でも合言葉のように「市民との協働」を口にします。
ここ数年前から耳障りのよいこの「市民との協働」というマジックワードを使うようになりました。
議員も事あるごとに本来の意味を知ってか知らずか伝家の宝刀のように使うことがあります。
■協働ってなに?■
協働とは山陽小野田市自治基本条例によれば「市民等、市及び議会がそれぞれの責務及び役割を自覚し、ともに協力し、ともに活動すること」
そして山陽小野田市基本計画にも「市民と行政が対等・平等の関係で協力し合う「協働のまちづくり」を推進するため」とあるように、協働の場においては市民と行政が対等・平等の関係だと明示してあります。
■先駆者は削除している■
協働という言葉は「ニセコ町まちづくり基本条例」の中で初めて使われ、ブームのように一気に全国に広がり多くの自治体が自治基本条例などに謳いこんでいます。
しかし、ニセコ町は2009年に条例からこの言葉を削除しています。
その理由は「『協働』が住民と行政の対等なパートナーシップという意味で使われるのには違和感がある。主権者である住民と、住民の意思に基づいて働く役場が対等なはずがない。役場は住民に責任を転嫁するために協働を言い訳にしてはいけない」(片山健也町長)
■協働の難しさ■
協働の厳密な言葉の意味は別にしても地方分権が進み財政状況が決して良くない状況では取り入れるべき新しい自治体運営の手法ですが、昔から自治会や子供会、老人会、ふるさと協議会の活動や溝掃除や道普請、清掃活動など公共的な事案を具体的に実践していくという協働に近いスタイルがあるのも事実です。
しかし、行政の施策としての協働は市民参画の域を出ないものばかりのような気がします。
協働を呼びかける主体が行政である限りそこに協働はなく、参加、参画になってしまうのではないでしょうか。
事実、基本計画には市民との協働の具体的取組として「市民と市長との対話の日の開催」「出前講座の充実」「住民投票条例の活用」「パブリックコメントの活用」「審議会委員の公募委員の拡大」など対等なパートナーシップと言えないものばかりが列挙されています。
住民自治の概念から考えると住民側が行政に対して協働を働きかけることが最初のステップです。
つまり行政がいくら協働協働と唱えても現実は条例や施策の整備のための単なる市民参画に重点を置くものになっていて、前述のニセコ町長の言うように「役場は住民に責任を転嫁するために協働を言い訳」にしているように思えてなりません。
■住民と議会の関係■
議会も同様で、議会報告会や市民懇談会を開催したからと言って協働を実践したことにはなりません。
協働型議会を実現できれば議員の定数はまだまだ削減できるなどと主張する議員もいますが自らの住民代表としての立場をどのように理解しているのでしょうか。
協働型議会の実現は議会の構成員全員が選挙によって協働すべき相手であり、まちづくりの主体である住民によって選ばれているだけに法理論的には矛盾があります。
しかし、議会が住民と共に考え行動することはそんなに難しいことではありません。
いや、住民が議会と共に考え行動することはそんなに難しいことではありません。
まずはその環境整備のために住民に対して開かれた議会を推進して欲しいものです。
多くの住民は市政運営の問題点や課題はもちろんのこと、市や議会で何が行われているのかも知りませんし興味もありません。
その責任はもちろん住民にあると言えるのですが、議会にもその一端はあります。
まず議会がなすべきことは、議会制民主主義の精神に則りしっかりとした組織体を作っていくこと。
基礎がぐらついていてはその上に何を構築しようともやがて崩壊してしまいます。
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